解散の舞台裏〜その一〜

 "BCG ROCKERS"は1981年の結成以降、7年間はオリジナルメンバーで活動していたが、それ以降はオレ愚図ケンジとゲンヤ以外はメンバーにめぐまれず、目まぐるしくメンバーチェンジをしながらの活動が続いていた。

 が、'90年代に入って、ダイサクが加入してからの、愚図ケンジ、ゲンヤ、TAISHO、ダイサクという4人の"BCG ROCKERS"は自画自賛になるが、本当に最強だと思えた。

 オレは"BCG ROCKERS"を作って以来ずっと、「バンドはファミリーじゃないといかん・・・」と言い続けて、それをモットーにメンバー探しも続けて来ていた。

 音楽的な事、技術的な事は二の次で、何よりも人間性とフィーリングを大事にした。

 そして、この4人になって、やっとファミリーだと思えるバンドになった。

 本当にメンバー全員、仲が良かった。四六時中一緒、合宿がずっと続いている様な感じ。同じカマの飯を食うとはまさにこの事を言うのだと思えた。

 「右へ行こう」と言えば即座に右へ・・・、「左へ行こう」と言えば即座に左へ・・・、

 個性と我の強すぎる4人の団体行動だというのに、驚くほどレスポンスも良くなり、バッチリと足並みも揃っていた。

 だから、まだ地盤も出来上がっていなかった過酷な路上ライブ活動の日々も乗り越えれたのだろう。

 路上でライブ活動をするようになって数年が経ち、大阪城公園でのストリートライブも様々なバンドが演奏しにやって来るようになり、城天(シロテン)と言う呼び名と共にちょっとしたブームになって来た頃、

 オレ達"BCG ROCKERS"にも次第にファンがつき始め、地元大阪では、定期的にワンマンライブや、「Rock'n Roll Fight」と銘打ったオレ達企画のイベントもやらせてもらうようになっていた。

 当時ホームグランドにしていたライブハウス「BLOW DOWN」のマネージャー達の完全プロデュースのもとに、CDアルバムもリリースさせてもらい、ライブツアーにも出るようになった。

 オレ達の方から、「CD出したい・・・」とか

「ライブツアーに出たい・・・」とか

「ワンマンライブをやりたい・・・」などと言った事は一度も無かった。

 オレ達はただ、「どうすれば、色んな人達にオレ達の音楽を聴いてもらえるのか・・・」、

「どうすればいいライブが出来るようになるのか・・・」、

「どうすればオレ達のロックンロールはもっとカッコ良くなるのか・・・」

「どうすれば、伝わる・・・」などをを真剣に考え、

 ただがむしゃらに取り組んで突っ走っていただけで、

 活動のステップアップは、その成果というか結果として、ライブハウス、マネージャー等が導いていってくれた自然で必然な流れのものだった。

 お客さんも全然入らなくて、演奏も相当デタラメだった路上ライブをするまでのオレ達は、つっぱらかった生意気な風貌と態度で、業界での評判は最悪だった。

 ろくにお客さんも入らない身の程知らずなオレ達は ライブハウスの人達ともめ事を起こす事もしばしばあった。

 けれど、路上でのライブを成功させ、ワンマンライブもきれるようになったオレ達に、業界は手のひらを返したように変わった。

 それまでさんざん悪口も言われ、冷たくされてきたライブハウスの関係者も、

「是非またウチで・・・」とオファーをかけてくるようになり、頭をさげてくる者もいた。

 世界が変わった・・・。

 ごく限られたライブハウスでしか活動できなかったのが、どこででも歓迎されて出来るようになった。

 メジャーレーベルの人が名刺をもって楽屋に訪ねて来るようにもなった・・・。

 そうなると、それまではだだがむしゃらに突っ走って来た「チンピラバンド」が、冷静に自分達の音楽を見つめ直したりして、

 ちゃんとした「ロックンロールバンド」になろうとし始めた。

 そして、もうワンランク上の音造りを無意識のうちに意識し始めると、個性のキツ過ぎるメンバー4人のキャパシティとセンスは微妙なズレを見せ始めた。

 四六時中一緒で本当に家族化していたがゆえ、気も使いあえる友達同士の関係なら出ないイラ立ちや感情も出し合ってしまう。

 そこに、それまでやってきたそれぞれのミュージシャン的なキャリアが入り込んで来て、

 ピリピリとした時間が少しずつ増えはじめて来た。

 現にオレも"BCG ROCKERS"が全くダメだった頃は考えもしなかったのに、

 その頃になると"BCG ROCKERS"で表現している以外の自分の音楽性を表現する為に、ソロでの活動をしたり、

 アコースティック「愚図」の構想をねったりし出していた。

 そんな中、ある夜のリハーサルの帰りの車中で、ベースのTAISHOが、特に衝突の多かったメンバーとの問題を取り上げて切り出した。

「抜けたい・・・、もう限界みたいや、○○とやっていく自身が無い・・・」。

 

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