記録していたわけじゃないので、定かではではいが、確か1990年〜1991年頃だったと思う・・・。
ライブハウスでいくら活動を重ねても うだつのあがらないオレ達"BCG ROCKERS"は、当時のマネージャーの提案もあり、中古ながらも、色んな人達の協力のもとに、必要な器材を一式揃え、路上ライブを始めた。
現在でも続く通称:城天(シロテン)と呼ばれる大阪城公園ストリートをはじめ、アメリカ村三角公園、各コンサートホール前等、色んな場所で路上ライブを行った。
現在ほど、ストリートミュージシャンという呼び名さえもなく、路上ライブ自体が全く市民権のない頃、ましてやアコースティックではなく大爆音のフルバンドなのだから、当然、許可をとれるわけなく、
無許可でゲリラ的にやるのだから、相当風当たりはキツかった。
行く場所行く場所、警察の方々や公園局の方々との押し問答の連続。
そのうちマークされるようになり、場所によっては器材を降ろしている段階で止められる事もしばしばだった。
それだけリスクをしょって路上ライブをやったところで、成果はさんざんなものだった。
まだまだ路上ライブとは何たるか・・・をわかっていないイキがっているだけのチンピラバンドなんて、
所詮は街角のピエロ・・・。
耳をふさいで足早に通り過ぎる人、
馬鹿にした目線で笑い飛ばしていく人、
ひやかしの酔っぱらい・・・、
悔し涙をこらえる日々が続いた。
路上でやるようになってから、そんな日々が1年以上過ぎた頃だったろうか・・・、
ぼちぼちと人の足を止めれるようになり、常連さんもついてき出した頃、
毎週日曜の恒例になってきていた大阪城公園でのストリートライブで、常連ギャラリーの中に妙に我々の目をひく男女二人がいた。
その二人は、若いギャラリー達の中にまぎれてはいたが、失礼ながら、明らかに他の人達よりもかなりお年をめしておられる様だった・・・。
こんな事を書いたら怒られるかもしれないが、我々の母親にも近い感じだった。
しかも、毎回ひときわものすごく楽しそうに聴いてくれている。
確かに現在なら、オレ達もそこそこのキャリアも身につけたし、プレイヤーサイドのオレ達自身が中年域な事もあって、
年配の方が足を止めて下さって聴き入ってくれる光景もめずらしくはない。
しかし、当時はオレ達もまだ20代前半のペーペーで、やはり取り囲んでくれるギャラリーも10〜20代の人達ばかりだったので、当時としては本当に珍しかった。
「最近、あの人達いつも来てくれてるなぁ・・・」、
「オレらのやってるようなロックンロール、好きそうな世代の人やないのに、いつもめっちゃ楽しそうに聴いてくれてはるよな・・・」、
メンバー間でも良く話にあがるようになった。
そして、毎週日曜の大阪城公園でのストリートライブに加え、不定期に行っていた土曜日のアメリカ村三角公園でのストリートライブ、全て皆勤で来てくれるようになっていた。
さらに、毎回ライブハウスの客席にも、その姿を見かけるようになるまでにも、そう時間はかからなかった。
そう・・・、それがTさんとヨーコさんの二人との出会いだった・・・。