ヨーコさんの病状に何か変化があった時は、すぐに連絡をもらえるようにTさんに頼んだオレは、その後すぐに"BCG ROCKERS"のメンバー達に連絡をとり集合をかけた。
そしてヨーコさんの再発の「事実」を話した。
さらに、オレの気持ちを話した。
「"BCG ROCKERS"を復活させる。もう1度ヨーコさんに聴いてもらいたい・・・。
ただ、もう1度やるだけの同窓会的なのものじゃない。
今のオレ達の"BCG ROCKERS"を届けよう。
どれだけ出来るかわからないが、今から"新生BCG ROCKERS"の曲を書く。
そしてそれをレコーディングして、新譜をひっさげて、ヨーコさんに届けに行こう・・・。」
メンバー全員、異論は無かった。
けれど、この時点では、その後"BCG ROCKERS"としての活動自体を再開させるかどうかは別で、
まずは新しい"BCG ROCKERS"をヨーコさんが元気なうちに見せて聴かせる事だけを目的としていた。
そして、その目的を達してから、その後の事は考えよう・・・と話し合っていた。
勿論、この事はメンバー以外、外部にはシークレットである。
親しいバンド仲間や、友人達にも秘密にしていた。
それからオレはもの凄いペースで曲を書いていった。
"愚図"になって以降、"BCG ROCKERS"とはまったく違う曲造りをしてきていたので、作業的な事のカンを取り戻すのに少々苦労はしたが、一旦書き出すと、逆に、完全にロックンロールから離れていた分、過去の作品にとらわれずに「今、"BCG ROCKERS"でやるなら・・・」というイメージのもとにどんどん書けた。
そして連日、歌詞とメロディの出来た曲から順に、メンバー全員でスタジオでのアレンジに入り、1曲1曲完成させてゆく作業をくり返した。
そして、アルバム分の曲を仕上げた後、レコーディングに入った。
Tさんからの連絡はまだあれ以降無い。
「ヨーコさん、頑張っててよー」。そんな思いを込めながらの作業だった。
バンド経験者、もしくは、音楽をかじった事のある人ならわかってもらえるだろう。
書き留めたものもまったく無い白紙の状態から、アルバム1枚分の作詞、作曲、編曲をして、尚、自ら演奏するリハーサルも積んでゆく。
さらに、レコーディング、ミックスダウン、CD製作・・・。
かなりのペースで進めたが、やはりサンプルの音源が出来上がるまでに、およそ1年近くかかった。
しかし、やっと完成した。
アルバム・タイトルは「ショットガン・ライダー」。
自画自賛になるが、解散するまでの"BCG ROCKERS"よりも、一層ぜい肉を削ぎ落としたシンプル&ストレート&スピードを追求した極上のロックンロール・アルバムだった・・・。
さー、ヨーコさんに届けよう。
ここで少し余談をはさませてもらおう・・・。
この"BCG ROCKERS"復活への水面下での活動中も、勿論、平行して"愚図"としての活動も通常通り行っていた。
そんな最中の、確か大阪心斎橋「ミューズホール」でのライブだったように思う。
闘病中のヨーコさんが、Tさんに連れられてライブを観に来てくれていた。
後々聞いたところによると、この時はすでに、もう歩く事もままならない状態で、とてもライブになんて行くような状態では無かったらしいが、
ヨーコさんの強い希望で、出来るだけ体力的に負担をかけないように「じゃあ、パッと行って、パッと帰ろう・・・」、とTさんが車をとばしてくれたそうだ。
だから、来てくれていたのは知っていたが、本番終了するやいなや、会場を後にされたので、結局この時オレ達は会う事は出来なかった・・・。
Tさんによると、オレ達のライブの後は、ヨーコさんは気分が高揚していて、
帰りの車中、「良かったな〜、あの曲が〜、この曲が〜・・・」とTさんに、さっき観たライブの話をして、
興奮がさめやらぬうちは嘘のように、不調も、痛みも、忘れているらしく、フッと我に返って、再び痛みにもがき苦しむ前に、帰ってしまわないと・・・と、Tさんは車をとばしていたらしい。
それがヨーコさんの観た、最後の"愚図"のライブだった・・・。